COLUMNコラム

JIDORIの洋楽雑考

いろいろな切り口やテーマで、音楽ライター、JIDORIが洋楽を斬る!
Vol.13

つづれおる記憶~ キャロル・キング

2018.08.24
Carole King
皆元気? 洋楽聴いてる? 頭の中にずっと残っているのに、何という曲なのか分からないという体験は多いと思うのだが、本稿の主役と、オレの頭にあったモヤが晴れた件にちょっとした関係があったというのには驚いた。こういう偶然もあるのだな。さて、今回の主役はいわゆる"洋楽原体験"アーティストとして取り上げられることも多いキャロル・キング嬢である。
1942年生まれ、76歳となった今でも活動しており、2016年、ロンドンはハイド・パークで開催されたフェスに出演した際の演奏を収録したライヴ音源を昨年リリースしている。
Carole King
3歳の時に、母から簡単なピアノの手ほどきを受けたのだが、程なくして両親は彼女が絶対音感を持っていることに気づく。彼女の父は消防士だったのだが、知人のもとへ娘を連れて行き、彼女の能力を得意げに披露していたらしい。
4歳になると、ピアノの正式なレッスンを受け始める。小さい頃の"お稽古事"というと、どうしても"いやいやレッスンをやらされる"と想像しがちだが、それこそ驚くような早さで理論を吸収していたようだ。ラジオに合わせ、ピアノを自由に弾くという楽しさもあったらしく、母が強制するようなことは一切なかったらしい。
幼稚園に入ると、別の才能が開花。年少組在籍時から、文字、数字に対する並外れた能力があることが分かり、翌年にはそのまま小学生に飛び級している。
バンド活動は高校在籍時からで、その際に本名Klein姓からKingを名乗り始めるが、これは当時根強く残っていた反ユダヤ主義に対するものであった。また、当時デモ制作を共に行ったのは、こちらも若かりし日のポール・サイモン。
オフィシャル・デビューは1958年のシングル「The Right Girl」だが、ここで大成功というワケには行かず。
大学在学中に最初の伴侶ジェリー・ゴフィンと出会い、わずか17歳で結婚!その後、二人三脚で曲作りに励むようになる。
1959年にオールディーズの巨匠、ニール・セダカがリリースしたシングル「Oh! Carol」は、高校在学中に彼と交際していたキングについて歌っているのだが、これに対するアンサー・ソングとして、キングは「Oh! Neil」(ゴフィンの曲)をリリース。今だったら、マスコミも取り上げそうなネタなんだが、当時はそれも今ひとつ。
しかし、翌1960年、成功は突如として訪れる。商業作家として活動していた2人の楽曲「Will You (Still) Love Me Tomorrow」がBillboard 誌Hot 100 で1位を獲得!歌っていたのは女性3人組The Shirelles 。この楽曲が、初の"すべて黒人女性で成り立っているグループ"による1位獲得であることも重要だろう。
その後、2人が残した名曲の数々は、誰もが必ず耳にしているはず。オレとしては、Grand Funk Railroad やカイリー・ミノーグのカヴァーでも有名な「The Loco-Motion」が印象深い。元々はキング夫妻のメイド兼乳母だった女性エヴァ・ボイド(Little Eva)の歌った楽曲だ。当初、別の女性シンガー、ディー・ディー・シャープのために書き下ろされたのだが、最終的にエヴァがリリースし、1962年にBillboard 1位を獲得している。余談だが、その後夫妻がThe Crystalsのために書いた「He Hit Me (and It Felt Like A Kiss)」は、エヴァがボーイフレンドから再三にわたって受けていたDVをテーマにしている。
あのジョン・レノンをして、「自分とポール・マッカートニーとの関係をキング / ゴフィンのようにしたかった」(1963年談)とまで言わしめた無敵のコンビだったのだが、ゴフィンが別の女性との間に子を作ってしまったり、薬物に溺れたこと(ヒッピー文化に対する憧れが強かったらしい)が原因で2人は1960年代の末に破局を迎えてしまう。
しかし、メゲることなくキングはソロ活動へと移行。その頃には後の彼女のキャリアに重要な役割を果たすジェイムス・テイラー、ジョニ・ミッチェルらと出会っており、1970年に初のソロ「Writer」を発表。Billboard誌では84位と振るわなかったのだが、作家時代に培った実力は存分に発揮されており、モンスター・アルバムとなる次作への片鱗が伺える。
そして翌1971年2月、彼女を語る上で欠かすことのできない作品「Tapestry」を発表。これも当時の洋楽ディレクター大先輩に敬意を表したいのだが、このまま邦題を「タペストリー」としてリリースしていたら、ここまで語り継がれることはなかったんじゃなかろうか。あくまでこのアルバムは「つづれおり」だよね。
Carole King
本作レコーディング当時、主要参加アーティストであるダニー・コーチマー(G)、ジョニ・ミッチェル(Vo)、さらにはキング本人までが、同時期に行われていたジェイムス・テイラーの「Mud Slide Slim」のレコーディングに参加し、ジェイムスは逆に「Tapestry」に加わっていたこともあり、今ではなかなか想像しづらいのだが、両アルバムに「You Got A Friend」が収録される運びとなった。結果的にテイラーのヴァージョンが全米1位を獲得するのだが、さすが売れっ子作家だけあり、キングは"ジェイムスがとてもこの曲を気に入ってくれたからレコーディングさせてあげたの。おほほほ(と微笑んだかは不明だが)"と余裕だったようだ。
かくして、全米チャート15週連続1位、6年近くもの長きにわたりチャート・イン、世界売り上げ2500万枚という大ヒットを記録した。 その年のグラミー賞ではAlbum of the Year を始め、「You Got A Friend 」で女性アーティスト初のSong of the Year を受賞するのである。

どうも、「Tapestry」の印象があまりもデカいため、彼女のことを一発屋扱いする風潮が特に日本ではあるようなのだが、実際には1980年代前半までは、ほぼ毎年アルバムをリリースし続け、冒頭に記したように、ライヴ活動も今に至るまでしっかりと行なっている。

 
Carole King

さて、これも冒頭の"個人的な真夏の偶然"なのだが。1970年代に聴いた覚えのある曲が誰のものなのか、最近までずっと悶々としていたのだが、断片的な記憶をつなぎ合わせた結果、それがNHKで放映された「僕たちの失敗」(1974年)というドラマのテーマ「落日のテーマ」であることがようやく分かった。聴いてみると、正にその曲で長年の溜飲が下がったのだが、それを歌っていらしたのが、「恋人よ」で有名な五輪真弓さんであったのには驚かされた。どこかスペイシーで、ともすればプログレっぽくも聞こえるこの曲、小さい頃のオレが惹かれた一番の理由は、この曲に漂う"果てしない洋楽っぽさ"であることはすぐに分かったのだが、同時に"あ、キャロル・キングに似てるんだ、この雰囲気"と気付かされた。
年配の方には常識なのかも知れないが、1972年リリースの五輪さんのデビュー・アルバムにはデモを聞いて感銘を受けたキングが参加している。この時期に既にオレ個人の音楽テイストが完成していたのだなぁと感慨を受けたのはもちろんなのだが、原稿のテーマに上がったアーティストと、自分の幼少期の遠い記憶がこんな形でリンクするとは、ちょっと不思議な8月の暑い日の朝である。では、また次回に!


● Profile:JIDORI

メジャーレコード会社の洋楽A&Rの経験もある音楽ライター。「INROCK」を始めとする洋楽系メディアで執筆中。ユニークで切れ味の鋭い文章が持ち味。
 
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