COLUMNコラム

JIDORIの洋楽雑考

いろいろな切り口やテーマで、音楽ライター、JIDORIが洋楽を斬る!
Vol.15

憧れのBudokan〜Cheap Trick

2018.11.08
Lenny Kravitz
皆元気? 洋楽聴いてる?少し前になるが、サンフランシスコ連邦高裁が、Led Zeppelin の名曲「Stairway to Heaven」について、盗作の疑いに関するLA連邦地裁の1審判決を破棄、審理のやり直しを命じた。洋楽ファンであれば、一度は耳にしたことのあるこの曲。アコースティック・ギターとリコーダーのアンサンブルによるイントロが非常に印象的なのだが、この部分がアメリカのバンド、Spiritが1967年にレコーディングした「Taurus」のパクリだという。この曲は3分に満たないインストで、バンドのギタリスト、ランディ・カリフォルニアの手によるもの。カリフォルニア自身は1997年に亡くなったのだが、彼の代理人によって訴訟が起こされていた。
実際、Zeppelin は結成初期のアメリカン・ツアーでSpirit の前座を務めたこともあるらしく、カリフォルニアは"これは自分の曲にヒントを得ている"というニュアンスを込めた文章を、同楽曲収録のアルバム・ライナーにも書き記している。YouTubeなどでこの楽曲を聴く限り、確かに似てはいる...しかし、あくまでもこれはイントロ。約8分にも及ぶ壮大な楽曲の一部であり、全体のドラマティックな展開を思いついたのが、ジミー・ペイジらであることは疑いようがない。訴訟大国アメリカらしいと言えばらしいのだが、仮にZeppelin 側が敗訴した場合、賠償金とかどうやって計算するんだろうか。ちょっと今後に注目か...
で、このLed Zeppelinだが、1971、72年に来日公演を行なっている。東京公演の舞台となったのは、ご存知日本武道館である。1964年の東京オリンピックに合わせて建設されたこちらの会場。再来年に迫った二度目のオリンピック開催のため、来年初頭から改修工事に入る。
この日本武道館を「Budokan」として、世界中に知らしめたのが、今回のコラムの主役Cheap Trick である。歴史的名盤であり、彼らの大出世作でもある「at Budokan」リリース40年を記念して、先月来日公演が開催されたのは記憶に新しい。当初、武道館公演が予定されていたのだが、ギターのリック・ニールセンの体調不良から延期となり、会場が変更になったのは残念だったが、結成40年以上を経た現在でも彼らがいかに優れたライヴ・パフォーマーであるかを存分に証明して見せた。サポート・メンバーとしてシンガーのロビン・ザンダーの息子(ロビン・テイラー・ザンダー)も登場、アニヴァーサリーを祝福する内容となっていた。
別々のバンドで活動していたリックと、ベースのトム・ピーターソンがCheap Trickの前身、Fuseをイリノイ州で結成したのが1967年。1970年には唯一の作品である「Fuse」を発表したが、残念ながら成功への道は開けず。NAZZなるバンドからキーボード・プレイヤーとドラマーを獲得し、ある時はFuseとして、またある時にはNAZZとしてライヴを行なっていた。"NAZZなる"とか、さもローカル・バンドっぽい書き方をしてしまったが、このバンドの中心人物はトッド・ラングレンで、バンドはThe Doorsのサポートも経験していた。
その後、ドラマーをバン・E・カルロスにチェンジ、1971年にフィラデルフィアへと拠点を移し、バンド名をSick Man of Europe と改める。しかし、このコラムで何度か書いているが、バンド名ってホントに大事だよな。Sick Man of Europe...売れる雰囲気まったくしないもん、失礼ながら。
1973年のツアーを最後にリック、トム、バン・Eの3人が結成したのがCheap Trick である(あっという間にロビンにその座を奪われる形になったが、オリジナル・シンガーはランディ・ホーガン)。
Lenny Kravitz
アメリカ中西部をサーキットしていたバンドに最初に目を付けたのは、70年代アメリカン・ロックのプロデューサーとして有名なジャック・ダグラス。彼が推薦することでバンドのライヴをチェックに訪れたのが、こちらもその後、主にハード・ロック系のプロデューサーとして名を成す当時Epic RecordsのA&Rだったトム・ワーマン。あれよあれよという間にバンドはEpicと契約、1977年、セルフ・タイトルのアルバムでデビュー(ジャックのプロデュース)。アメリカでの成功には程遠かったのだが、評論家筋のウケはよく、Fuseスタート時とは明らかに何かが違っていた。
同年9月には早くもセカンド「In Color」を発表。こちらのプロデュースを担当したのはトム・ワーマンだった。数多くの名作に携わっているトムなのだが、しばしばバンドから"サウンドが軽い"と批判されることもあったようで、バンドはその後、未発表ながらアルバムを再レコーディングしている(プロデュースはスティーヴ・アルビニ)。 「In Color」アルバムは内容もステキなのだが、バンドのキャラを確立した作品としても重要だ。ロビンとトムという、見目麗しいメンバー2人をジャケの表に、リックとバン・Eを"オチ"として裏ジャケに起用するというアイディアは今見ても実に印象的。そして、この戦略がバカっとはまったのが、ここ日本だったのだ。
アメリカではいまだ前座クラスのバンドに過ぎなかった彼らだったが、(主にジャケ表2人を中心に)日本ではいわゆる"ピンナップ・スター"的な扱いが始まり、洋楽専門誌(何という懐かしい響き)には、ベイ・シティ・ローラーズらと並んで、バンドの写真がフィーチャーされるように。
翌1978年に発表された3作目「Heaven Tonight」からのシングル「Surrender」はバンド初の全米シングル・ヒットとなり、ようやくバンドに本格的な光明が指す。 アルバムの発表は5月だったが、バンド初の日本公演は4月に実現している。
先日当時の様子を振り返るリックとトムのインタヴュー映像を観る機会に恵まれたのだが、エコノミー・クラスに押し込められて、羽田空港に到着したら空港がパニック状態になっており、てっきり凶悪犯でも到着したのかと思ったら、全員自分たち目当てのファンで本当に驚いたらしい。
今月、伝記映画「Bohemian Rhapsody 」が公開されるQueen のメンバーも同じことを言っていた記憶があるのだが、突然の大スター扱い、日本人女性の嬌声、嬉しさよりも驚きのほうが初めに来るようだ。
Eurobeat
さて、2回の武道館公演をレコーディング、その中から10曲をピックアップした「at Budokan」は同年10月(このリリースまでのスピードも素晴らしい!)に日本リリース。
当初、海外発売は予定されていなかったらしいのだが、いわゆる輸入盤でアメリカでも火がつき、翌79年2月に全米発売、300万枚というモンスター・ヒットとなるのだった。今でもライヴの定番である「I Want You to Want Me」(元々は「In Color」収録)のライヴ・ヴァージョンのシングルがBillboard 7位を記録、バンドと同時に"Budokan"という単語も世界的な名声を得るのだった。
1966年にThe Beatlesが来日、外国人アーティストとして初めて武道館公演を行う。"あのThe Beatlesが音楽後進国日本でライヴをやる!"という事実が世界中を駆け巡った瞬間である。
"日本でライヴをやる。それを録音/発売する"というある種の冒険が最初に成功したのはDeep Purple の「Made in Japan」だろう。とはいえ、ジャケットこそ武道館が写っているけれども、当初の内容は大阪公演が収録曲の過半数を占めている。
名実ともに「日本公演=武道館がステイタス=Budokan」という図式を海外に認知させた記念碑的な作品こそ「at Budokan」であり、その後いかに大きな会場が設立されようとも、その事実は今も変わらない。
私ごとで恐縮だが、レコード会社在籍時代に、担当していたアーティストを連れて武道館を訪れた記憶がある。プロモーションで死ぬほど忙しいバンドだったので、コンサートを見るなんていう余裕はなく、午前中(というか早朝)に許可をもらって入館したのだった。そこでは蛍光灯の明かりの下、少年少女が剣道をしていた。そのバンドのメンバーが、ぽつりと"いつかこの会場でライヴできるかな?"と呟いた。"お前らのガンバり次第だよ。さ、ホテルに戻って取材始めるぞ!"と、そそくさと武道館を後にした。その数年後、武道館のステージに立っていたのが、スウェディッシュ・ポップの代表、The Cardigans である。ステージ下手袖からライヴを観ていたのだが、なんとなく目の前の光景には、靄がかかっていたのを今も思い出す。 では、また次回に!
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● Profile:JIDORI

メジャーレコード会社の洋楽A&Rの経験もある音楽ライター。「INROCK」を始めとする洋楽系メディアで執筆中。ユニークで切れ味の鋭い文章が持ち味。
 
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