COLUMNコラム

JIDORIの洋楽雑考

いろいろな切り口やテーマで、音楽ライター、JIDORIが洋楽を斬る!
Vol.27

〜スタアはつらいよ〜ジュディ・ガーランド

2020.03.10
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皆元気?洋楽聴いてる?
今回も映画の話題から。先日発表になった第92回アカデミー賞。外国語(非英語)作品として初の受賞となった韓国映画「パラサイト 半地下の家族」。前回、アラブ系俳優としてやはり初の主演男優賞となったラミ・マレックを例に挙げるまでもなく、アカデミーも、よりグローバルな方向に向かっているんだろうね。もうアメリカ国籍を取られたようだけど、カズ・ヒロ(辻一弘)氏が「Bombshell」(「スキャンダル」)でメーキャップ&ヘアスタイリング賞を受賞されたのは素晴らしかった。
さて、今回取り上げるのは、レネー・ゼルウィガーが主演女優賞を獲得し、3月6日から公開されている「Judy」(「ジュディ 虹の彼方に」)の主役ジュディ・ガーランド。
前回書いたバート・バカラックが1928年生まれで、「さすがにこれ以上年上のアーティストを取り上げることはないだろうなぁ」と思っていたら、ガーランド嬢、まさかの1922年生まれ...もう、ほとんど世界史の授業のようである。
ミネソタ州出身で、本名フランシス・エセル・ガム。3人姉妹の末っ子で、2人の姉メアリー・ジェーン、ドロシー・ヴァージニアと共にThe Gumm Sistersを結成。1929年の映画「The Big Revue」で銀幕デビュー。数本の映画出演と同時に、いわゆるヴォードヴィル・スタイルでツアーを行なっていた。
その後1934年、グループ名をThe Garland Sistersに変更。当時のアーティストだけに名前の由来も諸説あるのだが、一緒にツアーを行なっていた俳優ジョージ・ジェッセルの影響があったのは間違いないようだ。
1934年の映画「Twentieth Century」(「特急二十世紀」)で女優キャロル・ロンバードが演じたリリー・ガーランドという役名を気に入ったジェッセルが押したという説。また、ショーのオープニングでジェッセルが"花輪(garland)よりも可愛らしい女の子たち"とグループを紹介していたので、ガーランドという芸名を名乗るようになった説。またジェッセルとは無関係なのだが、当時のドラマ評論家ロバート・ガーランドから拝借したという説もあるらしい。
同時にフランシスはファースト・ネームをジュディにチェンジ。こちらは当時人気だった歌手ホーギー・カーマイケルの楽曲にインスパイアされてのもの。
翌35年にグループはあえなく解散するのだが、ジュディの並外れた歌唱力("子供の身体で大人の声"と称されていた)に注目した映画会社MGMと契約を果たす。
同時期に彼女の父が亡くなるのだが、そこでジュディのマネージメントにより大きな力を発揮するのが母親のエセル。で、このエセル...ジュディをして"the Real Wicked Witch of the West"(西海岸の本物の邪悪な魔女)と称されるのだが、さもありなん...当時10歳のジュディに早くもダイエットと称し投薬を始めていたらしい。朝にアンフェタミン(覚醒剤な...)、夜は睡眠薬と、ほとんど人体実験のような。
その後MGMが彼女のダイエットを監視するように。2〜3本の映画撮影を掛け持ちするため、朝3時間の授業、その後歌のリハーサル、そして撮影。それは早朝5時に及ぶこともあり、彼女はどんどん薬物へと耽溺、15歳の頃には中毒を起こしていた。
Judy
1939年、当時ジュディ16歳。映画「The Wizard of Oz(「オズの魔法使」)」で演じたドロシー役で一気に大ブレイクを果たす。当初はシャーリー・テンプルという20世紀Fox所属の有名子役が演ずる予定だったのだが、契約の都合で急遽大抜擢されることに。ここでMGMは"出来る限り彼女を子供らしく見せる"という作戦を立てる。これがもう完全に人権を無視したもので、食べ物はスープ、飲むのはブラック・コーヒー、そして1日80本のタバコ(おいおい...)、ダイエット薬、そしてアンフェタミン...ウェストにはコルセットを巻き、鼻には矯正器具が取り付けられていた。撮影現場では日常的にセクハラの被害にも遭っていたらしい...誰か止めろよ!
1941年、19歳で周囲の反対を押し切って最初の結婚。自らが置かれた過酷すぎる環境から逃避する行為だったとする見方もある。通算5度の結婚をするのだが、2人目の夫、映画監督のヴィンセント・ミネリとの間に設けた娘が女優のライザ・ミネリ。
そのヴィンセントが監督を努めた1948年の映画「The Pirate(「踊る海賊」)公開の頃には、心身のバランスが完全に壊れてしまっていて、最初のリハビリ入院をし、同時期に自殺未遂事件を起こしている。
翌年にはその行動に業を煮やしたMGMから解雇され、そのショックから再び自殺未遂。1950年にミネリと離婚。
3人目のパートナーとなったシドニー・ラフト、そして友人のビング・クロスビーらの薦めで、ハリウッドを脱出、この頃から歌手活動を本格化させる。クロスビーさん(涙)...
夫でもあるラフトがプロデューサーとしてクレジットされている1954年の「A Star Is Born(「スタア誕生」)」で銀幕へカムバック。映画は大ヒットし、彼女自身もアカデミー主演女優賞にノミネートされた。しかし(なぜ...)、配給元であるワーナー・ブラザースは撮影時の彼女の素行を問題視しており、受賞への尽力を一切行わなかった。それどころか、"もう、彼女で映画は二度と撮影しない"とまで宣言。結局アカデミーは、その後モナコ公妃となるグレース・ケリーの手に。挫折感から、ジュディは数回の自殺未遂を繰り返す。
不遇な数年の後、1961年に「Judgement at Nuremberg (「ニュールンベルグ裁判」)」で復帰を果たし、アカデミー助演女優賞にノミネートされる。そして同年4月23日、ジュディのキャリアのハイライトであり、今も"ショウビズ界最高の夜"と称されるNYはカーネギー・ホールでのリサイタルが開催される。ショウはライヴ・レコーディングされ、ずばり「Judy at Carnegie Hall」とタイトルされた2枚組アルバムとしてリリース。Billboard誌で95週に渡りチャートイン、13週で1位に輝いている(ゴールド・ディスク受賞)。そして、彼女は同作品で女性として初めて1962年のグラミー賞最優秀アルバムを獲得、合計4個の受賞を果たしている。
Judy
同年(61年)、CBSとの契約問題についても、彼女の新たなエージェント、フレディ・フィールズの仲介で和解し、新たなTV番組の企画が生まれた。
その名もずばり「The Judy Garland Show」とタイトルされ、62年2月にスペシャル版がOAされた。ちなみに、第1回のゲストはフランク・シナトラとディーン・マーティン‼︎ スーパースターを集結させたところからもCBSの力の入れようが窺える。思惑通り番組は成功を収め、CBSは2400万ドルという破格の金額を提示し、番組のレギュラー化をオファー。"TV界最大のタレント契約"とメディアももてはやした。
Judy
その後2度のスペシャルを経て、63年9月から毎週日曜日の目玉番組としてスタート。番組自体の評価は高かった(エミー賞4部門ノミネートなど)にもかかわらず、シーズン1(26話)で終了。
その後、ジュディは活動の場を再び舞台へと移す。1964年11月には当時18歳だったライザ・ミネリを伴い、ロンドン・パラディアムで公演を行なっている。
散発的にTV出演も重ねていたのだが、度重なる素行の問題で徐々にオファーは減少。同時にステージ上での問題行動も顕在化するように。開演時間を守らない、飲酒によるパフォーマンスの劣化、コンサート時間の短縮など、プレスもネガティヴな報道に傾いて行く。
3人目の夫でありビジネス面を取り仕切っていたシドニー・ラフトとの破局が更に彼女を追い込んで行ったようだ。新たなエージェントになったフレディ・フィールズとも彼の杜撰な資金管理、さらには使い込みなどが原因となり、1966年には袂を分かつ。そして彼女に残ったのは50万ドルとも言われる莫大な借金だった。IRS(米国国税庁)から自宅を差し押さえられたのも同じ頃。
映画「ジュディ 虹の彼方に」は彼女の最晩年、1968年のロンドン公演の模様をハイライトとして製作されている。
実際には、翌69年に再びロンドンを訪れ、その後3月にデンマーク、コペンハーゲンで最後のパフォーマンスを行なっている。また、同月にはナイトクラブのマネージャー、ミッキー・ディーンズと5度目の結婚式を挙げた。しかし、それからわずか3ヶ月後の6月22日、ロンドンの自宅バスルームで遺体となって発見される。享年47歳。オーヴァードーズが死因なのだが、それがアクシデントだったのか、もしくは自死だったのかは今もって意見が分かれている。
"ジュディ・ガーランドは生まれた時に12歳だった。生まれついての本名、アイデンティティをそのまま持っている俳優は少ないと思う。わたしはフランシス・ガムという女の子と自分を結びつけることが出来ない。彼女について、他の人と同様に記事を読むような行為は出来るんだけど。"
1950年代に彼女はジャーナリストに語っているのだが、ある種の異様なプロフェッショナリズムとも読み取れる。生まれた瞬間からジュディ・ガーランドだったという...最終的に破滅的な方向へと向かうその人生なのだが、彼女のストイックさ、純粋さを揃って食いものにしたショービズ界の責任も大きいよな。業界挙げての罪滅ぼしでもないんだろうが、その死後、数多くの功労賞が贈られ、記念切手までが発行されたジュディ。虹の向こうで微笑んで美声を響かせてくれていることを願う。
ではまた次回に!
Judy

● Profile:JIDORI

メジャーレコード会社の洋楽A&Rの経験もある音楽ライター。「INROCK」を始めとする洋楽系メディアで執筆中。ユニークで切れ味の鋭い文章が持ち味。
 
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